3つの宝

ひとつ目の宝

後醍醐天皇の皇孫 尹良親王(ゆきよししんのう)の書かれたとされるお写経2巻

年に一度 4月25日の大般若法要の時のみ公開します

尹良親王。遠江 井伊谷生まれ。後醍醐天皇(在位1318~1338)の第8皇子宗良親王の皇子。南北朝の争乱の最中、南朝の勢力挽回に力を注ぎ、度重なる戦いの後、浪合で亡くなられたとされています。正二位権中納言に叙任。左近衛大将・征夷大将軍。源尹良とも。浪合では、尹良親王が戦い亡くなったといわれている”矢越、宮本、宮ノ原”などが地名として今でも残っております。

ふたつ目の宝

日本剣道の創始者のひとりとされる慈念大和尚さまの石碑および関連諸物

慈念大和尚さまは、京都や鎌倉、九州の寺を巡って剣術や兵法の修行をされました。慈伝授した剣術は「念流」と呼ばれ、剣道の諸流の源であるといわれています。晩年を浪合の地で過ごし、護身の神 摩利支天(まりしてん)を本尊とし、長福寺を建立しました。念流の武術は現在、群馬県高崎市の真庭念流道場にて引き継がれ、数年に一度、創始者の墓前で演武会も開かれます。また、浪合地区の春秋のお祭りで披露される念流太皷の名前の由来となっています。

みっつ目の宝

東京南青山の地名の由来となる初代青山家から贈られた幔幕

青山家のルーツは近江(現在の滋賀県)です。平安時代に権勢をふるった藤原家の血筋です。この近江国の師重という人が青山と名乗る初代で、師重は藤原四家の一つ花山院家です。この師重は南朝方として尹良親王に従い群馬県の新田の地に下りました。新田の地は大変松が多く、四季を通じていつも青々としていたことから青山姓の歴史が始まります。やがて師重は三河に移り住み、青山家は徳川家の最古参の譜代となり、青山忠成の時、 家康の命に従い現在の地に居を移しました。そして関東入国の準備を整え、その子忠俊は家光の守役に抜擢されたのです。20世住職と交わされた御文も大切に保管されています。また、平成24年の客殿改築の際には、青山家から贈られた幔幕が発見され、参拝される方の目に新たにとどまるようになりました。

また、大般若法要の本尊十六善神のもと、写経をされている尹良親王のお姿が描き出された掛け軸。太宰府天満宮認可の狩野 筆による菅原道真公のお掛け軸はひときわ目を引きます。

現在も尹良親王の家臣を先祖にもたれる方や、青山家ゆかりの方々が寺を訪れ、ご先祖様に手を合わせられています。