お寺の歴史

尹良山堯翁院は、天正初期1577年に開創しました。織田信長が安土城下に楽市をつくった年です。今年は開創442年です。ご開山さまの禅翁吟宗さまが準備整備し、実際は、二代目の欄室宗薫さまの代に開山されたものときいております。開基さまは、波合備前守 胤成(なみあいびぜんのかみ たねしげ)さま。

瑩山禅師―峨山禅師から、法は静岡県森町の大洞院に引き継がれ、長野県に入ります。総持寺輪番寺院の泉龍院7世が禅翁吟宗さま。とくに明治15年以降は、本寺である耕雲寺の住職が歴代の住職を勤められました。19世より世襲となり現住職が21世を勤めています。本尊さまはお釈迦さまです。

もともと当院は宿場町にありましたものの、明治7年に火事に遭い、現在浪合学校のある地に移転。住職が校長となった時代もあったそうですが、戦後、境内に中学校校舎を建立することになり、子どもたちの教育のためならと、学校に土地をゆずり、昭和24年に現在の地に移遷しました。

南北朝時代、後醍醐天皇の第8皇子の第2皇子の尹良親王さまがこの地で北朝側に急襲され、自害されたことから、当院は皇孫のご位牌所の寺院としても知られ、宝暦10年1760年に山号を尹良山に改めました。その時の、親王さまの直近であった家臣団のご子孫がたとも交流があります。

また、御典医として仕えた青山師重公の末裔さんが、青山家14代目当主として昨年当院に、現れ、古のご縁が近年になって息づいてきました。東京都港区青山の土地をすべて所有する初代青山家と当院のつながりは、郡上八幡城主の青山家、丹波篠山の青山家関係者からも知られるようになり、今後の当院にとっては楽しみなご縁が広がりそうです。

さらには、新田義貞公に兵法を指南された日本剣道の祖のひとりとされる慈念大和尚さま(奥州相馬家 相馬四郎義元)は、晩年、この地で修行されたことから12世が供養碑を建てました。現、馬庭念流創始者の兵法は群馬県の吉井町に引き継がれ、数年に一度、創始者の碑の前で演舞試合が行われています。

近隣にこのような歴史をもつ寺院がないことから、今後は、当院の歴史とご縁のある方々とのご縁を深めて、昔のご縁を大切にすることで、連なる様々な地域の方とのふれあいを未来永劫つなげていく道をつくっていきたいと家族で話しています。